北満に、満鉄亜細亜号で。

考えてみれば70年も昔のことである。
中国に初めて僅か五百米の短い鉄道が敷かれて0号機関車が走ったのが1865年だそうである。

我々慰問団の一行は中国東北部に行った。満州の北部は我が国でいえば東北地方にあたる。新京(シンキョウ)、奉天(ホウテン)、撫順(ブジュン)、鞍山(アンザン)が予定に入っていた。満州の東北地方を疾走する大連と新京間を結ぶ新型の特急列車「亜細亜号」、屋根に高射砲を取り付けたSL(蒸気機関車)の車窓からの風景は圧巻であり、見渡す限りのコーリャン畑や地平線の彼方に沈んでゆく大きな真っ赤な太陽を目にして、改めて中国の広大さを感じたものである。亜細亜号は現在の新幹線のように素晴らしく思えた。

中国きっての鋼鉄都市(コンビナードの街)鞍山と同様に撫順は満鉄が重要な財源としていた石炭の町だが、そこで思いがけなく女学校時代の仲良しグループの一人であった友人に出会った。ごく僅かの時間ではあったがお互いに奇遇を喜び合いながら学生時代に思いを馳せた。学生時代の4年間に私と机を並べていた友人である水木さんの父上は画家と聞いたが、当時彼女はご主人の仕事の関係で撫順に来ていたのだとか。今では日本の島根に居られる彼女と便りをやり取りしている。

慰問団一行は鞍山からハルビンまで行ったが、これも汽車の旅だった。1917年のロシア革命後に白系ロシア人が作ったハルビンには日本の隅田川摸したと云われるスンガリー(松河江)がキタイスカヤ街の突き当たりにあり、冬には河が凍ってスケートが出来たが、スンガリー河の中央の太陽島があり現在は療養所があると聞く。
注:白系ロシア人とは旧ロシア帝国からの亡命者を指し、ロシア革命後の共産主義を嫌ってロシア国外に脱出した当時のロシア国民のことだそうだ。1930年代後半にスターリンの行った大粛清(政治弾圧)の犠牲者となった人々もいたと聞く。

ハルビンは新生を迎えるまでは幾多の苦難の歴史があったそうだ。
19世紀には帝政ロシアの侵略を受け、20世紀には日本の植民地となったが、1946年4月28日には中国共産党の指導する解放軍により解放され社会主義の重工業地帯としてその名のように輝かしい都市に生まれ変わったのである。

私の憧れの街、ハルビンのキタイスカヤ通りにはBGMに白系ロシア人のトリオで音楽を聞かせてくれたモデルンという大きなミュージックホールがあった。この店を気に入った私はハルビン滞在中によくロシア民謡やセミクラシック音楽を聴いて楽しんだものだった。

色々な思い出を胸に私たちは帰途についた。無事に慰問の責任を終えて日本に帰ることが出来たのだった。

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by g_vocal | 2008-10-18 23:17 | おもひで
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