ジュリエット・グレコ Juliette Greco

第二次世界大戦後のパリ、サン・ジェルマン・デ・プレ界隈のクラブを中心に活躍したシャンソン歌手達がいた。

レオ・フェレ、ボリス・ヴィアン、マルセル・ムルージ・・・中でも忘れてはならないののはジュリエット・グレコである。

1927年生まれのグレコが来日したのは61年の事、その後も何度も日本のフアンの前に神秘な姿を見せている。 「ジョリ・モーム」、「アコーデオン」、「私は私」などのシャンソンと切り離せない歌手である。

「いつまでも」は詩人レーモン・クノーの詩にジョセフ・コスマが節ずけした49年の歌。
これはブラン・マントー街」や「蟻」とならんで、ジュリエット・グレコが正式にデビューする以前から歌い続けてきた重要な作品で、「コスマ」に作曲を依頼したのもグレコ自身であった。

当時サン・ジェルマン・デ・プレの歌手として既に人気が出ていたグレコはキャバレー「屋根の上の牡牛」に出演を頼まれたが、まだ人前で歌う程の持ち歌がなく、作家のサルトルからの紹介でこのクノーの詩を見つけたという。

彼女のデビューを飾る記念すべき歌として、グレコは今なおリサイタルの時には必ずこの歌をレパトリーにいれてるとか。

原詩はプレイヤード派の詩人ロンサールの有名な「Mignonne, allons voir si la Rose」をもじった才気溢れるものです。 その皮肉な内容が当時のサン・ジェルマン・デ・プレで人気を呼び、グレコを一躍人気歌手にすると同時にムルージにも世に出るきっかけを与えたそうだ。

いつまでも、いつまでも花の盛りがかがやき
     いつまでも、いつまでもわかい、命が燃えて
     恋の季節がつづくと夢をみているならば
     いつまでも、いつまでも頬あかく腰は細く
     いつまでも、いつまでも軽やかに足は舞い
     乙女の時がつづくと夢みてるなら、娘さんよ、娘さんよ
     晴れた日も過ぎ去って、遠い国知らない国、お前は一人で行く
     そっと忍び寄る老いの影、あかい頬もいつかあせる


私がよく歌う曲、そしてグレコ自身もコンサートの幕開きの一曲目に黒いドレスで歌う曲は「ノンムッシュー 私ははたち(20才)じゃない Non monsieur je n'ai pas 20 ans]
日本語は岩谷時子訳で、ユーモアのある面白い歌詞です。 来日の時2回共そうでした。

ノン・ムシュー、もう私ははたちじゃないの
そんな若い年では勿論ないけど、あなたが思うよりは少し上なの
だけど嬉しいわ、気にしてくださって、若くはないけどあたしも女
そう私は思う、過ぎた日々の楽しい夜を美しい唄を
ノン・ムシュー、もし私がはたちだった頃
貴方のような方と知り合っていたら思わず夢中になって虜になったでしょう
だけど多くの恋で見る目ができたわ
貴方には悪いけど若いこになさい・・・
ノン・ムシュー、もう私は20才じゃないの

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by g_vocal | 2005-03-05 21:46 | シャンソン
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