わが悲しみの夜 Mi noche triste

タンゴに市民権をもたらした「我が悲しみの夜」

アルゼンチンを代表する音楽といえば誰しもがタンゴを思い浮かべるほどである。
しかし、現在のようになるんは長い歴史があった。我が国でも1950年のごろはタンゴを意味する言葉としてポルテーニヤ音楽という言葉が好んで使われているそうである。

それはブエノスアイレスが昔から重要な貿易港として栄えたところでプエルト(港)と呼ばれたことに由来するそうで、ポルテーニョというのは港の人のことだそうだ。

この市の南東部にボカと呼ばれる港町があり、そこがタンゴの誕生の地だあるそうな。 古くが移民船がこの港に着いた。
ガウチョ(アルゼンチンのカウボーイ)なども集まるよになった港町がタンゴ誕生の地と呼ばれる所以だ。どこであれ、港町には船員相手の酒場がたくさんあり、客の相手をする女やヤクザ者たちが集まった。タンゴは最初、いかがわしい街にたむろする男たちが踊るための音楽として注目された。そのようない意味合いを持つダンスに一般市民が歓迎するわけもなし、次第に形を整えて音楽として聴かれるようになっていtった。
そして1917年になって、タンゴはポルテーニョの心情を表している音楽として認知されてやうやく市民権を獲得するに至ったのだ。
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その契機がカルロス・カルデル(Carlos Gardel)が歌った「我が悲しみの夜」であったそうだ。
この曲はサムエル・カストリオータ(Samuel Castriota)が作曲しパスクアル・コントゥルシ(Pascual Contursi)が作詞した初のタンゴ曲です。

ガルデルは1935年6月にコロンビアのボゴタ空港で事故に遭い他界した。今も最高のアイドルとして君臨し続けているが、ガルデルの?出生、生年?は謎に包まれている。
1911年にガルデルはホセ・ラサーノと知り合い、一緒に歌うようになった。カルロス・カルデルのその頃のレパートリーはフォークローレだったそうだ。
その後オデオンで録音を開始したが、それとは別にソロで「わが悲しみの夜」を吹き込んだ。それがカルロス・カルデルにとって初めてのタンゴで、アルゼンチン・タンゴにとっても初めてのタンゴ・カンシオンだったそうだ。

「わが悲しみの夜」の歌詞は探戈楽人 Tango Rakujin

「我が悲しみの夜」は何年か前、恵比寿のシャンソンのレッスン場で日本が誇る阿保郁夫氏が80日をかけて選曲及び編集したCDを聴いたことがある。

阿保先生のタンゴとガルデルに対する愛が全編に感じられる名盤である。
30年4月の再録音が聴けただけでも「神に感謝」である。
是非、一度聴いて下さい。

カルロス・ガルデルの「わが悲しみの夜」は新星堂系列のレコード会社であるオーマガトキ・レーベルの「大いなる遺産」という2枚組CDに収録されています。


Carlos Gardel - Mi Noche Triste - YouTube

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by g_vocal | 2008-11-16 13:19 | ラテン
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