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幻の五族協和劇団

はるか昔のこと、或る日私の両親を訪ねての客があった。それは二人の男性で、一人は室町京之助という芝居の台本などを書く人であり、もう一人は映画の時代劇の役者で小林重四郎であった。私が歌手として北支に慰問に行ったことを聞いて来たのだそうだ。

「実は、この度、日本民族、漢民族、満州民族、朝鮮民族、蒙古民族の人々で”五族協和”のチームを作りたい」との話だった。

既にSKD(松竹歌劇団)から15名ほどのダンスチームが集まり、その講師としてバレーの石井獏門下生3名も決まっているが、歌の方が中々決まらないのでお願いに来たとのこと。両親とも相談し、知人たちにも話を聞いて貰い、気に入らなければすぐ帰ってきたら良いと言われたので、私は様子をみて来ようと思った。
※五族協和とは1932年に日本が満州国を建国した際、アジアの5つの民族が平等に暮らすという理念を掲げたものだったが関東軍の独走により抗日運動が起こった。

結論から言えば、無事には帰って来たものの、あの話はいい加減そのもの。中国の新京の吉野町の宿泊所に寝泊りは出来たが、SKDの踊り子たちは練習のスタジオもなく、全く暇を持て余していたようだった。その時、浪曲師の広沢虎造が慰問に来たのを知ってSKDの人たちは頼んで連れて帰って貰った。私の方は一人だけラジオ放送の番組を受けたりして満蓄の方々の世話を受けてなんとか過ごしていた。
当時は満映には東京のPCL(東宝)から録音技師が何名か来ていて、森繁久弥や小暮美千代などの台本の読み合わせを見学したりして、私としては勉強にもなり未開発の分野で面白いこともあった。
※満映とは関東軍が日本を宣伝するために作った満州映画協会のこと。

暫くして石井獏関係の人たちと私たち残った者全員がハルビンに移った。

ハルビンには中国人はいない。白系ロシア人の町。「東洋のモスクワ」を目指す都市づくり、ハルビンは楽園であり、松花江の美しさも独り占め。
が、やがてロシアで革命が起こりハルビンに住む白系ロシア人の生活は一変する。処世術が上手く金儲けをした人、パン売りや靴磨きに転落した人などとそれぞれの人生行路を狂わせた事件だった。祖国に帰れないハルビンの白系ロシア人たちは良き時代を偲び乍、松花江近辺で遊んだようだ。
変わってハルビンに進出した日本人も敗戦で日本に帰り、今でも松花江に思いを馳せていることだろう。

ハルビンでは中央のキタイスカヤには白系ロシア人の経営する洒落たレストランやカフェがたくさんあった。その頃東京ではその様な雰囲気の店など皆無であったし、価格も低いこともあり私は毎日のように一人で独りでレストランに行って食事を楽しんだものだった。野菜の嫌いな私はサラダがこんなに美味であることを初めて知った。

再び新京に戻ると私の家から早く帰るようにと言ってきたので、間もなく大連港から独りで神戸の港に着いたのだった。
手土産も無い私に対して、東京から迎えに来てくれた母の唖然とした一言、「みんな食べちゃったの?」をつい昨日のことのように思い出す。無謀な青春の一ページだった。
by g_vocal | 2008-11-07 09:08 | おもひで
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